「ネットで暴走する医師たち」にみる矛盾

以下の文を書いてみた。
長くなってしまったが、私はマスコミが、その特徴によって 無罪となった医師の名誉を毀損しつづけることに我慢ができないのだ。


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「ネットで暴走する医師たち」にみる矛盾
---------何故 医師達はネットで熱く語らなければならなくなるのか--------

 はじめに
「ネットで暴走する医師たち」(以下本書)という本を購入してみた。著者の鳥集氏は医師ではないが、それなりに一生懸命勉強されているのだとは感じる。しかし、悲しいかな、この本の中には都合の悪い事は書かない(書くスペースがない?)あるいは言わない(言う時間がない?)というマスコミ特有の欠点が図らずも明らかになってしまっている部分があり、かえってネットで医師が熱く語らなければならない理由が浮き彫りになってしまっている。
 個人への誹謗中傷など、別にネットでなくても、そして医師でなくてもしてはならないことであり、それに関しては論を待たないところだ。問題は、医師たちのネット上でのアクティビティの高さの背景に怒りがあることであり、その部分の考察がないかぎりは、真の解決にはならない。本書の目的が医師達に自省を促すものであるというのなら、本書そのものが恣意的な引用あるいは省略によって明らかに事実と違った部分で医師の名誉を傷つけており、そして、出版される事で反論の機会を奪われているという現実から、やはりネット上で意見を表明しなければならないことを指摘するとともに、著者自らの事実誤認を産科の集約化論にすり替える事でカモフラージュしている可能性を指摘したい。著者は謝罪するべき所は謝罪するべきと考える。

 目的 
大野病院事件(以下本件)の本書を例に、「ネットで暴走する医師たち」に 恣意的な引用あるいは省略により医師の名誉を反論不能な出版という形で世に広めていると疑われる部分があり、この事が ネット上の医師達の怒りを増大させ、患者と医師との距離をますます広めている可能性を指摘する

 方法 下記資料をもとに本書で恣意的な引用あるいは省略によって加藤医師の名誉が意図的に傷つけられている可能性が高い事を指摘する

 資料1から5について

 資料1としては、まず「ネットで暴走する医師たち」WAVE出版 そのものである。2009年1月1日発行とされているが、文中の著者のあとがきの日付は2008年11月10日とあり、少なくともこの時点では修正が可能であった事を伺い知る事ができる。

 資料2としては大野病院事件(以下本件)で確定した判決の全文である。
これは医療判例解説 第16号(2008年10月号)に記載されており、著者は本書を脱稿するまえにこれを読むことができた。本書の内容からは、出版する以上は当然目をとおすべき性格のものであろう。
この全文の写しは
http://obgy.typepad.jp/blog/2008/10/post-5158.html
に掲載されており読む事が出来る。

資料3
http://www.yuki-enishi.com/accident/accident-12.pdf
資料4
http://www.yuki-enishi.com/accident/accident-13.pdf
資料5
http://www.yuki-enishi.com/accident/accident-17.pdf

資料3から5は裁判判決前に著者が論座に書かれた文である。
資料3が2006年7月発行
資料4が2006年8月発行
資料5が2008年9月発行であるが、文中では判決前に書かれているものである事がわかる。

検討
----不都合な真実を隠蔽しているのはどちらであろうか----

1. 本件における癒着胎盤の頻度について
資料1 の本書の119ページによれば、分母を全分娩にすると数千分の一という癒着胎盤は前置胎盤を分母にすると5%程度の頻度となり、さらに帝王切開を一回施行している例では24%に達するという記載がみられている。
 これは正しい、判決文冒頭の事実認定で、被告人がW県立医大で学んだ内容として「前回帝王切開創に胎盤がかかっている場合の癒着胎盤の発症確率は24%」と記載されている。 

 しかし、著者の記載はここまでである。つづく判決文の「患者が35歳未満で、後壁付着である場合の癒着胎盤の発症確率は3.4%であると学んでおり、本件手術の際にもそのような認識であった。」については記載がない。

 著者は、この著作執筆時点では後壁付着における癒着頻度の低下についての認識がなかったのであろうか・・・? いや、そんなことはない。資料3をご覧いただきたい。この115ページから116ページにかけて氏の素人離れした勉強ぶりがうかがえる記載がみられる。ここには後壁付着の場合は前壁付着よりも癒着頻度が下がるであろうという内容が書かれている。何故、氏は帝王切開既往前置胎盤全体での頻度24%のみを記載し、この後壁付着である場合の癒着胎盤の発症確率3.4%を本書に記載しなかったのであろうか?

2. 前壁癒着か後壁癒着かについては結論がでていない???

いずれにしても氏は、胎盤の癒着範囲と程度とが重要な争点である事は認めている。本書121ページには検察側 弁護側 双方の主張が併記されている・・・ところがこれについては判決文において結論が出ているのにそれについては言及されていないのだ。本書のあとがきを書いた11月20日にはその判決文を読む事ができたにもかかわらずだ。

資料2を見ていただきたい。

「5 結論
(1)本件胎盤は、子宮に胎盤か残っている場所 (本件患者から見て後壁右側)を含む子宮後壁を中心に、内子宮口を覆い、子宮前壁に達していた。後壁は相当程度の広さで癒着していたが、前回帝王切開創部分を含め、前壁に癒着があったことを認めるには合理的な疑いがある。

(中略・・・標本における具体的な胎盤の存在部位)

(2)癒着の程度は、嵌入胎盤であり、胎盤が残留し、かつ、最も癒着深度が深い子宮標本の断面を利用して計測した結果、絨毛の深さと子宮筋層全体の幅が約1対5程度であることが認められる。」

これは、弁護側の主張を認めた結論である。合理的な疑いがあるというのは、なかなか判決文に慣れていないものには解りがたい表現であるが、その後に書かれている(2)被告人の本件手術開始後の予見、認識の項で、「前述のとおり、子宮前壁に癒着胎盤の存在は確認されていない。」と記載されている。つまりはそういうことである。

  何故、氏は 検察側と弁護側の主張をならびたてただけで、この一番重要な「判決において認定された事実」を記載しなかったのであろうか?
  
 氏は 同じページで、「いずれにしても加藤医師を支援するグループは声明時点で癒着範囲や程度について知る人はいなかったはずだ」と述べている。それは、そうだろう。しかし、氏は、無理からぬこととは思うが、重大な事を見落としているのだ。つまり超音波検査のプローべを持つ者ならだれでも解る事、すなわち「癒着しているかどうかは、そりゃわからんだろうが、胎盤の付着位置くらいはわかるわな・・・」ということなのだ。そもそもが、胎盤の付着位置が解らないのであれば前置胎盤という診断そのものが成り立たないではないか。
   
3. 本書によって 読者が加藤医師について持つであろうイメージと 判決の事実認定との差異について

このように、本書では、すでに判決全文が入手できる時期でありながら、帝王切開既往前置胎盤での全体の癒着可能性24%のみ記載し、胎盤癒着範囲と程度について検察側と弁護側の両論を併記しただけで、記載を終わっている。

これによって、読者は加藤医師についてどのようなイメージを持つであろうか

「1/4もの癒着可能性を知りながら、先輩医師や助産師の助言を無視して輸血準備のない所で手術を強行した馬鹿医者」

と、いうことになるのではないだろうか?

しかし、確定した判決文で 認定された事実は違う。加藤医師に術前での胎盤癒着可能性の認識はこうだ
「 イ 以上の事実経過に照らすと、被告人は、検察官調書で述べるとおり、本件手術直前には、本件患者から見た場合に、胎盤は左側部分にあり、前回帝王切開創の左側部分に胎盤の端がかかっているか否か微妙な位置にあると想定し、本件患者が帝王切開手術既往の全前置胎盤患者であることを踏まえて、前壁にある前回帝王切開創への癒着胎盤の可能性を排除せずに手術に臨んでいたが、癒着の可能性は低く5%に近い数値であるとの認識を持っていたことが認められる。」

検察主張ですら、5%であり、これは前述の前置胎盤全体を分母としての癒着胎盤発生率と等しい。そして、さらに開腹後再度子宮に直接超音波プローべをあてて診断して、帝王切開し、事実 前述のように前壁には癒着組織はなかった。すなわち帝王切開創は前壁にあるのであるから、帝王切開創への癒着はなかったのである。
   
どうして、氏は検察主張よりもさらに高い数値である24%の危険率がある認識していたというイメージを読者にあたえるような記載をしてしまったのであろうか。

 ここからは推察でしかないが、資料4.5をみると、どうも氏は医療側がなにか事実を隠蔽しているという記載をしたがっているようにみえる。かつてのステレオタイプの医療報道そのものともいえる。そして助産師や先輩医師の言を明らかになった真実などという主張をしている。どうもここに無理があるように感じる。

 真に明らかになった真実とは、加藤医師が一般的な帝王切開既往前置胎盤の癒着メカニズムからこの症例が外れる事を診断して、事実そのとおりであったこと。そしてそれでも傷痕への癒着可能性を少ないながらも警戒し慎重に事を運んでいたことなのだ。よって先輩医師は納得し、助産師の言は否定可能だったのだ。胎盤剥離操作のみに裁判の焦点があたったという主張をみるが、資料2の第6をみれば、被告人の大量出血に対する予見可能性について十分に検討されている。その上での無罪なのだ。

 著者にとって 不都合な真実とは この判決文全文そのもの、そしてそこに認定された真実なのではないだろうか。

 引っ込みがつかなくなって 恣意的な引用と省略をしてなお、「1/4もの癒着可能性を知りながら、先輩医師や助産師の助言を無視して輸血準備のない所で手術を強行した馬鹿医者」というイメージを反論不能な出版という形で読者にあたえつづけるというのなら、氏は自分のためだけに産科崩壊に手を貸していると批判されてもしかたがないのではないか。 ネット上の個人への誹謗中傷を批判するという隠れ蓑を着て、かつての自らの過った認識を謝罪しようともせず垂れ流しているといわれても仕方がないのではないか? 産科の集約化云々という御遺族の言はそのとおり。ところが そこが正しいという論を隠れ蓑にして、自らのかつての過ちをカモフラージュしようとしてはならないとおもう。

 本書の執筆中に判決全文を読むことができなかったという言い訳は通用しない。脱稿したであろう11月30日にはこれを読むことができた。本書の主張とは違った部分の批判だという論はあたらない。加藤医師の名誉はどうなる? その個人の名誉を棄損したまま反論不能のまま出版することこそが ネットで医師が熱く語らなければならない原因になっているからだ。

結論 
-------本書は逆効果だ--------

 本書の大野病院事件に対する記載は、恣意的とも思える引用と省略によって読者に「加藤医師は1/4もの癒着可能性を知りながら、先輩医師や助産師の助言を無視して輸血準備のない所で手術を強行した馬鹿医者である」というイメージを与える事に成功していると思われる。それは裁判判決全文において認定された事実と異なっている。このイメージの元、氏はかつての自分の著作の正当性をもたせようとしているようにすら読める。

そもそも、資料2 の判決文全文は

1.一般的には こういわれている

2.しかし、この場合は こうであった

3.従って無罪である

と、いう論法で貫かれている。 予見可能性についてもそうであり、術中操作についてもそうである。

 ところが、本書は 「一般的には こういわれている」の部分はしっかり書いてあるのだが(先輩医師の助言や助産師の言葉もその中に含まれる)、「しかし、この場合は こうであった」 の部分は書いていないか 著しく弱いのだ。

 そうすると 読者は 「従って無罪である」 の部分が どうしてだ・・・ということになるし、そして検察の控訴断念がどうしてだ・・・ということになる。

 それに対する氏の見解が 本書の143ページ 「検察が控訴を断念したのは、医師側の反発に配慮したのと 検察の主張に添う証言をしてくれる周術期の専門家がもはやいないと判断したからと私は考えている」 と、いうことなのだ。すなわち、医師側の圧力をほのめかす記載をされていることになる。 これでは、やはり医師らはネットで真実を叫び続けるしかない。

 ジャーナリストにこんな姿勢がある限り、医師達はネット上で反論するしかなくなる。この本の狙いとしている・・と氏が主張していることとは裏腹にただただ,ネット上に燃料を与えていることになってしまう。

 産科の整備は当たり前に皆が望んでいることだ。その大義名分を隠れ蓑にしての、今なお仕事をしている加藤医師に対するこういった誤ったイメージの流布は許されるのであろうか。氏にはここは 勇気をもって自分の誤りを認めていただきたい。だれだって間違いはある。

おわりに.  -------では どう書けばよかったのか。----

「 裁判所は低いといったが、癒着胎盤5%の確率というのは無視できないと思う。すべての前置胎盤の帝王切開は血液が豊富な高次施設でやったほうがよいのではないか・・・・・・」

 24%などとほのめかすことなく、 最初から たったこれだけのことを 正確に書けばよかったのだ。

 事件当時の常識はともかくといて、医師達も耳を傾ける記載になっただろう。実は加藤医師も判決後のインタビューでその類の発言をしていたとおもう。
 それを不思議な引用と省略をするから、私も ここまでくどくどと書かなければならない。

 付け加えるなら、医師の予見可能性については 判断されていないとする判決前後の当初の世論は、判決要旨のみをみたからだと思われる。

いまや 判決全文が入手できる。

そこには 加藤医師の予見可能性について、詳細な考察と検討がなされているのだ。 大野病院事件について語るつもりで、かつ、この確定された判決全文が手に入る状況にあったのなら、その言わんとするところをよく理解して語らなければならないのではないか。

今、この著作によって 加藤医師の名誉は毀損されていると考える。それもマスコミの恣意的引用と省略報道による医師のイメージダウンという、医療崩壊の真の原因によって行われている可能性がある。

看過できないことだと思う。

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5人組ではどうだろう。

5人組というのは、江戸時代の連帯責任のとらされかただ。

さて、最近、医療訴訟報道に対するコメントに書きこんでいる内に、
我々の生と死を分つものを直視しつづける日常というのは
我々のの常識というものを、どんどん一般から離していくということを再確認した。

医療は不確かな物であるのは当たり前だ。神様にしかわからない判断は常々あり、結果的に ああしておけばよかったと思える事は いくらでもある。

一方、一般の方にとっては、医療は非日常であり、医師は なんだか金持ちそうな集団でしかない。商売と同様に考える。

そのギャップが 今の医療崩壊を招いている。

医師個人を訴える。
訴えられている内容は無理な注文と医師はいう。
恵まれているのだから(実はそれも間違い)それができないのなら 辞めたら・・・と一般人は思う。
それだったら 辞めてやる・・・と医師は思う。そしてリスクの多い現場から医師はいなくなったわけだ。
救急でもなかなか受けてはくれない。それでも医師のせいだと一般の方は思う。 責められて、アホらしくて、また医師は立ち去る。

すべて、現場の常識が一般に理解できないためだと思える。 

で、医療事故調査委員会なるものも検討されているようで、一生懸命パブリックコメント書いたが、論議の報告をみていると、我々には 到底、この委員会が信用できない。現場からかけ離れた意見をいう法曹界もあり、到底、この人達が混じった委員会に報告するのはご免だ。やっぱり危険な分野の医療は辞めるしかない。

と・こ・ろ・が

医師は、医師からの指摘であれば、甘んじて受けるとおもう。同じ現場にいるからだ。

そこで、単純に連帯責任ではどうか・・・と思いついた。
医師を同一指導体制にあるいくつかにグループにわける。
別に5人でなくてもいい。 学会でもよい。
で、医療過誤と患者サイドがかんがえれば、このグループごと訴えるわけだ。
賠償金は 共同ではらう。つまり、賠償保険料は グループごとに設定される。たとえば学会の連帯責任であれば、産婦人科とか、外科とはは・・・次第に保険料はあがってくるだろう。その部分については、診療報酬で考慮していただく。 学会が認定した専門医の医療行為について、学会が責任を持つという形でもよい。保険料は専門医更新料でまかなう。ここで初めて専門医というものに実際的な価値が生まれる。そしてリスキーな手術のオペレーターも自動的に専門医になってくる。

医師にとっては、個人で訴えられないから、自動的に個人に対する刑事訴訟は消滅。リスクはへり、賠償に耐えれる。理不尽な訴えには連帯して対抗することもできる。

 しかし、それ以上に、普段の仲間同士のチェック体制がきびしくなるだろうことが大きい。そして本当によくない医師は、仲間の中できびしい処断が課せられるであろう。つまり、人の治療方針にケチをつけない・・・という習慣が、保険料上げられるかも知れないという運命共同体になることにより、口出しできる大義明文が得られるのだ。

それが、一番の医療にとっての利益だ。事故再発も防げる。

 事故再発防止・・・医療訴訟に携わる原告の方は、どうだろうか、これこそが訴訟のモチベーション、本来の目的ではないだろうか?やはり、目の前の医師が憎くて、個人相手に訴訟したいだろうか?

 医師にとってはどうだろうか。この方法にすれば、自動的に医師個人を刑事で訴える事はなくなるのだが・・・やはり厳しすぎるだろうか?

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夢物語

やっと低医療費政策批判が 新聞社に報道された

http://cc.msnscache.com/cache.aspx?q=8339385262979&lang=ja-JP&mkt=ja-JP&FORM=CVRE

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/crisis/archive/news/20070123ddm001100103000c.html

今まで偏向した報道ばかりしてきたこの新聞社にしては上出来だ。
しかし、これは医療崩壊が都市部にやっと波及したからであろう。結局のところ、各新聞社の本社は都市部にある。

しかし、有能な医師が医療を放棄していった「本当の理由」に思い至るまで、まだまだ時間がかかるのだろう。

事ある毎に 人様の日記に書きこんでしまっている。迷惑をかけているががとにかく、地道にやっていくしかない。

本当の事なのだから、いつかわかってもらえる時は来るはずだ。
でもその時まで何人の命が失われていくのだろうか。

夢物語だが、
もしも、医療費がふやしていただけるとして、リスキーな分野の医師たちが望むのは高い給与などではない。

望みは、身の保証だ。

たとえば
ある条件下での医療関連死における刑事訴追の免責の保証。

ある条件とはたとえば、同意書の存在だ。 

ここに死亡可能性が明記されている.それは操作ミスの可能性も含んでいるわけだが、その上でいちかばちかチャレンジしないと100%の死がまっている.

その中で患者様が同意してチャレンジしてきた.

その結果死に対して
交通事故と同じ刑事罰の業務上過失致死というのはおかしい。

我々は人間だから、絶対にミスをする。
それによって常に患者様を死なせる可能性がある。
決してやりたくてミスしているわけではない。

給与が3倍になっても、それで刑事に問われてはみわない。それが甘えだというのなら、皆 人間だから止める。治療は神様にお願いすればよろしい。

それが 今 おきている医療崩壊なのだ。

一方、患者サイドにも、まずは無過失保証を整備する。さらに迅速に対応する専門家による第3者機関を設けて迅速に医療過誤を判定して救済する。
もしも 医療費が増えるとして、我々の給与よりも、こういった方面に使っていただく方がよい。

医師への処分は、それが専門家による審査の結果であれば甘んじて受ける ・・・

これは、大事だ.

科学的真実がただ感情や社会情勢でねじ曲げられる事があってはならない.それは中世の宗教裁判と同じだ.

警察がまったくの無知蒙昧で科学的真実を尊重する意志もなく信じられないことは大野病院の事件を初めとする警察の対応でわかってしまった.

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070126k0000e040046000c.html


http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kenko/news/20070126ddm002100029000c.html


最近、堀病院や、奈良県の大淀病院の事例で、検察警察にも医療の実情を考慮した知性ある判断が示されているようであるが、おそらく産科に代表されるリスキーな分野の医師達は、この大野病院の事例の無罪が確定し、さらに警察検察の専門家意見を聞かないままの暴挙に対して、再発防止のための責任者に対する厳正な処分人事がおこなわれないかぎり現場にはもどらないだろう。

奈良県大淀病院での事例については、子癇失神→異常高血圧→脳出血のながれで亡くなった訳だが、素人は脳出血を子癇と誤診したと未だに信じているのではないか?.脳出血の時点で 脳外科的処置ができないあの施設で、構造的に遠いCT検査室までCT撮りにいっていたら妊婦だけではなくて、酸素投与がおろそかになりがちな検査室への移動や検査中において胎児まで死亡、あるいは障害を残ししていた可能性があるが、素人はいまだにCTとればなんとかなったと信じているのではないか・・・.不幸だが、どうにも救命できないことはある.そこで次善の策をとる. 彼は本能的に子供を救ったのだ。
このような高度判断の評価には、専門家の目が必要だ.前述のように大野病院事件に至っては、産婦人科の意見など聞かないまま起訴していると弁護側は指摘している.

そこで、利害関係をもたない第3者の専門家委員会の創設だ.これをなんらかの方法で機能させないといけない.
正直なところ、このような対策をしないとリスキーな分野に医師はもどってこない。


・・・もしも

夢物語だが、
もしも、医療費がふやしていただけるとして、リスキーな分野の医師たちが望むのは高い給与などではない。

望みは医業に専念できることだ。

たとえば、カルテがIT化されても、事務の負担が減っただけで、我々は事務の代行をしているに過ぎない。世の中は、それがあたかも美徳であるが如く、医師の雑用を増やしてきた。患者様の目をみられない。パソコンのモニターを睨んでいなければならない。

それは、医師が悪いのか?どこか間違えていないだろうか? 変革の方向は、我々が患者様に向かう時間を増やす方向であってほしい。

また、お役人が創設した煩雑な書類が多すぎる。

それが必要な物なら医業秘書を整備して我々は書類に目を通してサインする。 医業秘書を雇用すれば点数が加算されるような制度。 これにより、我々の注意力は飛躍的に目の前の患者様に向くし、患者様にも御家族に説明できる時間は増える。

もしも 医療費が増えるとして、我々の給与よりも、こういった方面に使っていただく方がよい。 医療秘書の人件費だ。

正直なところ、このような対策をしないとリスキーな分野に医師はもどってこない。

・・・もしも、医療費がふやしていただけるとして、リスキーな分野の医師たちが望むのは 高い給与などではない・・・

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平均台

平均台 
        
川がある。
平均台のような橋がある。
人を背負ってその平均台を渡る仕事がある。

大変だが、やりがいのある仕事だといわれている。
報酬も他の仕事に比べて高いらしい。

その仕事に就くためには定められた場所で勉強して試験に通らなければならない。訓 練もつんで一人立ちする。

勉強もしたし、訓練もつんだ。人をせおって平均台を渡る自信はある。さあ、仕事を はじめよう!!

ときどき平均台から落っこちる人がいる。不注意な奴らだ。
世間から批判されて当然。

でもどんどん運ばなければならない人は増えてくる。
いろいろな場所があって、平均台の幅が狭い地方もある。それにいつでもいいのに時
間かまわずやってくる人もいる。

平均台から落ちるのがけしからんということで、世間は川の中に剣山を置くことにし たらしい。
背負う人の重さは なんだか時代を経るに従って増してくるようだ。

川の中には血だらけの仲間がいる。落ちたくて落ちたわけではない。僕もなんだか目 が霞んできた。

今日はいきなり 仲間が以前おちたことが怪しからんといって どこかにつれていか れた。鞭打ちの刑にさらに処すべきか調べるそうだ(土手を歩いていて人を川に突き
落とした人と同じ罪なのだそうだ)。 仲間がつれていかれて、また仕事がふえた。

平均台の幅が狭いところから 仲間が逃げ出したらしい。ある程度の体重以上の人は 背負わないという人も増えてきた。
でも、だれかが、そこで仕事しなければならない。誰かが 重い人を背負わなければ ならない。

世間は、落ちないようにするにはさらに剣山の高さを高くしろといっている。

どうして・・・どうして、平均台の幅を広げるという話にならないのだろう。
どうして手摺をつけるという話にならないのだろう。
どうして人数を増やすという話にならないのだろう・・・。

薪がなくなったといって、平均台を削る話ばっかりだ。

それでも・・・・
今日も平均台を渡っていく自分がいる

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そこの貴方も 人命軽視

プールの事故や尼崎JR事故をみても
医療制度含めて、今の社会の風潮は
予算優先 人命軽視 だ。

そもそもが、皆が生きていくために人間社会というものが
発生し その道具として予算が発生してきたのだ。

価値観の根本が知らない内に予算になってしまった。
その効率的運営がもてはやされ、効率的運営の技術屋達の発言力がどんどん増してきて、そして生命の危機に対する恐るべき想像力の欠如が横行してきたのだ。

本末転倒とは まさにこのことを指す。

こんな人が生きていて価値があるのかという会話が横行する、その浅い哲学が、今の社会をすべて歪めている。それが、すべての事故の根本にあるような気がしてならない。

「生への畏敬」

は、ヒューマニズムの根本ではなかったか?
人間社会の根本にもどり、価値観を見直せ。

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【提唱】 「医療地獄」 という言葉

いくつかの医療系MLやSNSにこんなものを投稿した。
まあ おもいたったが吉日だ・・・・
同一内容を見る方には悪いがいろいろ投稿してしまおう。

----「医療地獄」のはじまり-----

戦争の影響で、
団塊の世代という現象が発生しました。

団塊の世代の方々は受験年齢になれば

「受験地獄」 という社会現象を

就職すれば

「通勤地獄」 という社会現象を

車が普及すれば

「交通地獄」 という社会現象を

引き起こしてきました。

今、高齢化にともなう医療費抑制によってひきおこされている
介護問題、あるいは医療事故もふくめたあらゆる現象
これらは実は団塊の世代の方々がリタイヤして後の事を先取りしたつもりの
盲目的医療費抑制という誤った政策によるものですから
大きな意味で、団塊の世代の影響、すなわち戦争の最後の社会的後遺症なのです。

患者様も医療従事者も地獄です。

おそらく、今までもいわれていたことでしようが
団塊の世代関連で発生した社会現象の今までのネーミングを
踏襲するならば
これからの20年間は

「医療地獄」

であると、いえるとおもいます。
このネーミングはマスコミにもなかなかインパクトがあってよいかもしれません。

この現実を無視する政府は無能です。

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医学生よ、研修医よ、地域医療をなめるな

前回の「地域医療への処方箋」に対して

某所でコメントをいただいた。

進路について自分の希望がかなえられなければ無医村にでも行こうかと考えている医学生がいるとのこと。

あるいは、もうすぐ、都会の病院で医師があふれるから、自然に地域にはじき飛ばされてくるだろうという意見も聞く。

私は申しあげたい。

「無医村をなめるな!!」

と!!!。

無医村赴任の医師にはそれこそ適性が必要だ。

 地域だから、僻地だから 医療が出来なくていいだろうという、間違えた考えは厚生労働省から持っていると思われる。

それが証拠に、くだんの開業要件騒ぎの時に、僻地で開業する場合はその限りに有らずという文言がみられた。

地域医療の経験がなく、専門ばかりやってきた人が地域で開業するのは大変に危険で迷惑で、地域の人々を馬鹿にした話だ。

また、都会から弾き飛ばされた医師で足りるだろうという考えも同様だ!!

地域だから、低いレベルの医療でよいと考える人は医師失格だ。

設備がないからこそ、明晰な頭脳と診察力と そして直感にも近いものも用いながら、都会と同じレベルの医療を提供しようと頑張らなければ、本当に奈落の底に落ちていってしまう。

その直感について、亡き父は 
「医師としての真の直感は、修練と責任感に宿る・・・」と死の前日に私に言った。

確かにそうだと感じる。

修練と責任感に裏打ちされた品格こそが、地域医療に必要であり、またそれは大病院のリーダーとしても相応しいものだ。

15年-20年後、今の研修制度の中の研修医達に対して、地域医療経験を都道府県立病院副院長以上の要件にするという先の私の案はそういった積極的意味合いもある。

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同情できない青戸事件

青戸事件の判決が出た。

あいかわらず、手術経験とか、指導医の有無等に焦点があたっているようだ。

それも大切な事だ。

だが、私にはもう一つ、彼らには当初から大切なものが抜けていたと感じている。

それは、無理ならすみやかに通常手術に移行する本当の勇気だ。

それは勇気などというものではなく、当然の事である。

いつかはチャレンジしなければならない時はある。

しかし、その時、患者様の命よりも自分のプライドの価値の方が大きい者に

私はメスを持たせない。

いや、彼らは、そんなことはわかっていた筈だとも思う。

手術室の集団心理、あるいは、スターダムを求める世間の雰囲気にのまれてしまったか・・・

そうだとしても、同情は出来ない。この事件と大野病院産婦人科逮捕事件と混同されてはかなわない。大野事件は検察に この事件と混同している節が見える。

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地域救急 がんばるぞ

都会では救急病院が1次2次3次とランク付けされていて、救急隊員は傷病者の重症度に応じてそれぞれに振り分けている。 2次輪番という言葉も この状況に即して意味をもつ。

その3次施設の配置というのは、人口比で考えられているようだが、僻地においては無意味となる。例えば当院は2次施設に分類されるが、行政のいう輪番を組む2次施設というのは30kmの彼方、行政の枠組みでの3次施設は80kmの彼方だ。重症であれば、搬送途中に死んでしまう。

しかし、周囲人口1万人程度の当院に3次施設並みの設備を備えるのは、あまりにコストがかかりすぎる。
ここに、僻地特有の救急格差が発生する。

とにかく 当地では、都会なら3次施設相応の重症外傷でも当院に運び込まれてくる。そこで、当院で根本治療が無理なら、とにかく根本治療はいいから生かすだけの強力なサポートをして、少しでも状態をよくして、3次施設まで運び込むというだけの治療をしようと考えた。なにもしないで時間の無駄だといって門前払いをすると、搬送途中に死んでしまう。

とにかく呼吸させて、心臓を動かして、血の量をふやしながら送るのだ。見た目が派手な枝葉末節にとらわれていて心臓が止まってしまってはなにもならない。なんとか生きて3次施設までたどりつけたら、結果はともかく、この僻地の人でも都会と変わらない救急医療を受けさせることができるのだ。それは当直が外科医でなくてもできるはずだ。

そこで、日本救急医学会と外傷学会がまとめた外傷初期診療ガイドライン(JATEC)を参考に、当院の実情にあわせたガイドラインをこしらえた。JATECの講習会は大変に競争率が高いからだ。救急指令所からの第一報で高エネルギー事故らしいということが伝われば、その時点で当院の事務を含めた全スタッフが動き出す。

このガイドラインを決めてから、即死を除けば 当院内での外傷死が0となっていることが判明した。当院で根治治療できた例も多かったが、当院で無理な場合でも、処置の結果、当院到着時に心臓が動いていた全例で生きて3次施設にたどりつけている。

県から、臨床研修の協力施設に追加させてほしいといわれたので、研修医向けのプログラムにも高らかにそのことをうたった。

さて・・・競争率が高いJATEC講習会(コンピュータ制御された重症外傷設定のダミー人形を適切かつ迅速な診断処置によって死から救う実習。2日間にわたる)だが、いつも大都会でおこなわれるのになんと岐阜で開かれ、全国で32人の受講枠に当選してしまった。

 なんでも、最後に試験があるらしい。当院のガイドラインの制定者である私は、大変にプレッシャーを覚えた。なんとなれば、既に自分の蘇生スタイルをもってしまっている医師ほど、JATECから逸脱して成績が悪い事を聞かされていたからだ。たしかにそう思う。試験におちたら、私が教えることになっている研修医向けのプログラムをなんとしよう・・・。

そもそも、私にはJATECを習得して、ガイドラインをさらに強化して僻地救急格差を少しでも少なくする使命があるのだ・・・。

ううう・・・とってもとってもプレッシャー・・・・。

・・・・

私があたったのは 恐らくは脳損傷で意識状態が悪いけど吸引で気道のゼロゼロは解決したが、フレイルチェストで呼吸状態悪く、そこで気管内挿管して人工呼吸管理にして生命危機解決し、腹腔内を検索しているうちに今度は緊張性気胸となり再び生命危機となり、すばやく脱気してさらにトロッカーいれて生命危機解決し・・・・
と、いう三重苦の想定であったが、なんとか迫り来る死から救うことができた・・・けれども、ここまではある程度「素」でやっている。

ガイドラインだから、所々で総括しなければならない。頭部CTに向かう前に生理学的評価に対して総括した。

「えっとA(気道の異常)については・・・・
・・・・あれ?・・・・良くなったはずなのに挿管されてる!!! あたしゃなに思って挿管したんだっけ?」

真顔で試験官に聞いてしまった。

うう・・・救急医に意識障害があるとは、これはこまった。これが年配者が落ちやすい本当の理由であったか・・・orz

結果発表される前に 
全員受講証渡されて帰されてしまった・・・・結果が心配だ。

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勤務医順法闘争

 日本の医療は終わった.脳死だ. はっきり、数字にあらわれる小児科とか産科とかで世の中あわてているが、実はすべてのリスキーな分野で終わっている.

 例えば、肝臓外科の達人達、無記名でアンケートとってみればよい. 「あなたは術中死の経験がありますか?」 とね. 経験が多ければ多い人ほどyesと答えるのではないだろうか.切除不能かもしれない癌でも彼等は藁をもすがる患者さんのためにチャレンジしてきた.その結果だ. しかし、彼等はその数百倍の同様症例の人々を助けてきた.  術死のデータは公表され積み重なって、そして後の教訓となって、医学を支えてきた.今の人々が享受している先進医学は御先祖様達の貴い犠牲の上になりたっている.  

 今は術死はどうなるかというと、異状死として届け出て、病院は保身のため術者を警察に突き出す.福島県の大野病院での産婦人科医逮捕事件をみていると、学会がおかしいと声明をだしているところの医学的に不可思議な理由によって起訴され、マスコミは医療ミスとして報道し 術者は社会的に抹殺されてしまう(癒着胎盤が予見可能とする起訴理由が本当にこれだけなら、この事件は断じてミスではない。どれだけ画像診断を駆使しても予見可能な癒着胎盤などないのは日本最高権威の産婦人科学会も指摘しているところだ。)。

 その結果が、自分達の信念によるものならよいのだが、我々には妻子もいる.これらを自分の信念の犠牲にするわけにはいかない.  だから、最初から、患者様に求められても、危ない手術はやめにしようということになる.世の中から達人は消滅し、世界一を誇る日本の外科技術は終焉を迎える.今までなら助かってきた人でも諦めてもらうしかない.

 おそらくはもう、既にこの現象は起きているけれども表にでない.  世の中がそれに気付いても、もう達人達は引退し、危ない手術の分野は初心者の手により、また屍の山を築きながら進むことになる. 気 の毒なのは、今までなら手術してもらえて、生存可能性があった患者様と、再開したときに 技術の伝承が不十分であることが原因で術死していく患者様達. 多分、それも医師が悪い事にされる.

 僕達は、命を救うと言う崇高な理想をもって医師になった.だが、残念ながら生まれた国と時代が悪かった.諦めよう・・・難しい手術は断ってしまおう・・・理想を諦めきれればだが・・・・  産科など、厚労省は報酬をあげるだの、主婦になった人を呼び戻すだのいっているらしい.AHOKA!! 今まで安定した生活をしているのに、わざわざ社会的に抹殺される可能性のある現場にもどる主婦がいるものか!!どれだけお金積んでもだめ.

 問題の本質は、医師を悪者にする記事の方が売れてしまう、世の中の風潮にあるが、今をさること70年前も、好戦的な記事の方が売れてしまう風潮があって、マスコミもそれに乗っていた.その結果がどうであったかは語るまでもない.その頃と全く変わっていないようだ. 医療は既に死んでいる.

  大病院にいて、このままでは過労死するな・・・とおもっていたところで転勤して、命救われた. ちなみに、僕の後任医師は、当直中に当直室で首を吊って自殺した. 遺書の内容については知らないが、場所がなによりのメッセージだ. 救急外来は、コンビニと勘違いしている慢性疾患であふれ、医師には宿直明けの休みもなく、普通の手術があり、また事故も起きかねない. それは不可思議な理由で宿直が勤務時間とみなされないからだ.

  勤務医よ、自殺するまえに、がんばるのをやめよう.順法闘争を始めよう. (これだけで、医療は崩壊するが・・・なんとか患者様が亡くならないように順法闘争できないだろうか)

  いや・・・もしかしたら、闘争する価値もないのかもしれない。自分の理想との折り合いがつけばしれっ・・・とリスキーな現場から辞めてしまえばよい。 矢面に立つこともない。実際そんな人も多い。闘争という言葉をつかうこと自体、どこかに理想の医療をあきらめ切れない自分がいる証拠だ・・・・。

甘いな僕も・・・

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