「ネットで暴走する医師たち」にみる矛盾

以下の文を書いてみた。
長くなってしまったが、私はマスコミが、その特徴によって 無罪となった医師の名誉を毀損しつづけることに我慢ができないのだ。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>.

「ネットで暴走する医師たち」にみる矛盾
---------何故 医師達はネットで熱く語らなければならなくなるのか--------

 はじめに
「ネットで暴走する医師たち」(以下本書)という本を購入してみた。著者の鳥集氏は医師ではないが、それなりに一生懸命勉強されているのだとは感じる。しかし、悲しいかな、この本の中には都合の悪い事は書かない(書くスペースがない?)あるいは言わない(言う時間がない?)というマスコミ特有の欠点が図らずも明らかになってしまっている部分があり、かえってネットで医師が熱く語らなければならない理由が浮き彫りになってしまっている。
 個人への誹謗中傷など、別にネットでなくても、そして医師でなくてもしてはならないことであり、それに関しては論を待たないところだ。問題は、医師たちのネット上でのアクティビティの高さの背景に怒りがあることであり、その部分の考察がないかぎりは、真の解決にはならない。本書の目的が医師達に自省を促すものであるというのなら、本書そのものが恣意的な引用あるいは省略によって明らかに事実と違った部分で医師の名誉を傷つけており、そして、出版される事で反論の機会を奪われているという現実から、やはりネット上で意見を表明しなければならないことを指摘するとともに、著者自らの事実誤認を産科の集約化論にすり替える事でカモフラージュしている可能性を指摘したい。著者は謝罪するべき所は謝罪するべきと考える。

 目的 
大野病院事件(以下本件)の本書を例に、「ネットで暴走する医師たち」に 恣意的な引用あるいは省略により医師の名誉を反論不能な出版という形で世に広めていると疑われる部分があり、この事が ネット上の医師達の怒りを増大させ、患者と医師との距離をますます広めている可能性を指摘する

 方法 下記資料をもとに本書で恣意的な引用あるいは省略によって加藤医師の名誉が意図的に傷つけられている可能性が高い事を指摘する

 資料1から5について

 資料1としては、まず「ネットで暴走する医師たち」WAVE出版 そのものである。2009年1月1日発行とされているが、文中の著者のあとがきの日付は2008年11月10日とあり、少なくともこの時点では修正が可能であった事を伺い知る事ができる。

 資料2としては大野病院事件(以下本件)で確定した判決の全文である。
これは医療判例解説 第16号(2008年10月号)に記載されており、著者は本書を脱稿するまえにこれを読むことができた。本書の内容からは、出版する以上は当然目をとおすべき性格のものであろう。
この全文の写しは
http://obgy.typepad.jp/blog/2008/10/post-5158.html
に掲載されており読む事が出来る。

資料3
http://www.yuki-enishi.com/accident/accident-12.pdf
資料4
http://www.yuki-enishi.com/accident/accident-13.pdf
資料5
http://www.yuki-enishi.com/accident/accident-17.pdf

資料3から5は裁判判決前に著者が論座に書かれた文である。
資料3が2006年7月発行
資料4が2006年8月発行
資料5が2008年9月発行であるが、文中では判決前に書かれているものである事がわかる。

検討
----不都合な真実を隠蔽しているのはどちらであろうか----

1. 本件における癒着胎盤の頻度について
資料1 の本書の119ページによれば、分母を全分娩にすると数千分の一という癒着胎盤は前置胎盤を分母にすると5%程度の頻度となり、さらに帝王切開を一回施行している例では24%に達するという記載がみられている。
 これは正しい、判決文冒頭の事実認定で、被告人がW県立医大で学んだ内容として「前回帝王切開創に胎盤がかかっている場合の癒着胎盤の発症確率は24%」と記載されている。 

 しかし、著者の記載はここまでである。つづく判決文の「患者が35歳未満で、後壁付着である場合の癒着胎盤の発症確率は3.4%であると学んでおり、本件手術の際にもそのような認識であった。」については記載がない。

 著者は、この著作執筆時点では後壁付着における癒着頻度の低下についての認識がなかったのであろうか・・・? いや、そんなことはない。資料3をご覧いただきたい。この115ページから116ページにかけて氏の素人離れした勉強ぶりがうかがえる記載がみられる。ここには後壁付着の場合は前壁付着よりも癒着頻度が下がるであろうという内容が書かれている。何故、氏は帝王切開既往前置胎盤全体での頻度24%のみを記載し、この後壁付着である場合の癒着胎盤の発症確率3.4%を本書に記載しなかったのであろうか?

2. 前壁癒着か後壁癒着かについては結論がでていない???

いずれにしても氏は、胎盤の癒着範囲と程度とが重要な争点である事は認めている。本書121ページには検察側 弁護側 双方の主張が併記されている・・・ところがこれについては判決文において結論が出ているのにそれについては言及されていないのだ。本書のあとがきを書いた11月20日にはその判決文を読む事ができたにもかかわらずだ。

資料2を見ていただきたい。

「5 結論
(1)本件胎盤は、子宮に胎盤か残っている場所 (本件患者から見て後壁右側)を含む子宮後壁を中心に、内子宮口を覆い、子宮前壁に達していた。後壁は相当程度の広さで癒着していたが、前回帝王切開創部分を含め、前壁に癒着があったことを認めるには合理的な疑いがある。

(中略・・・標本における具体的な胎盤の存在部位)

(2)癒着の程度は、嵌入胎盤であり、胎盤が残留し、かつ、最も癒着深度が深い子宮標本の断面を利用して計測した結果、絨毛の深さと子宮筋層全体の幅が約1対5程度であることが認められる。」

これは、弁護側の主張を認めた結論である。合理的な疑いがあるというのは、なかなか判決文に慣れていないものには解りがたい表現であるが、その後に書かれている(2)被告人の本件手術開始後の予見、認識の項で、「前述のとおり、子宮前壁に癒着胎盤の存在は確認されていない。」と記載されている。つまりはそういうことである。

  何故、氏は 検察側と弁護側の主張をならびたてただけで、この一番重要な「判決において認定された事実」を記載しなかったのであろうか?
  
 氏は 同じページで、「いずれにしても加藤医師を支援するグループは声明時点で癒着範囲や程度について知る人はいなかったはずだ」と述べている。それは、そうだろう。しかし、氏は、無理からぬこととは思うが、重大な事を見落としているのだ。つまり超音波検査のプローべを持つ者ならだれでも解る事、すなわち「癒着しているかどうかは、そりゃわからんだろうが、胎盤の付着位置くらいはわかるわな・・・」ということなのだ。そもそもが、胎盤の付着位置が解らないのであれば前置胎盤という診断そのものが成り立たないではないか。
   
3. 本書によって 読者が加藤医師について持つであろうイメージと 判決の事実認定との差異について

このように、本書では、すでに判決全文が入手できる時期でありながら、帝王切開既往前置胎盤での全体の癒着可能性24%のみ記載し、胎盤癒着範囲と程度について検察側と弁護側の両論を併記しただけで、記載を終わっている。

これによって、読者は加藤医師についてどのようなイメージを持つであろうか

「1/4もの癒着可能性を知りながら、先輩医師や助産師の助言を無視して輸血準備のない所で手術を強行した馬鹿医者」

と、いうことになるのではないだろうか?

しかし、確定した判決文で 認定された事実は違う。加藤医師に術前での胎盤癒着可能性の認識はこうだ
「 イ 以上の事実経過に照らすと、被告人は、検察官調書で述べるとおり、本件手術直前には、本件患者から見た場合に、胎盤は左側部分にあり、前回帝王切開創の左側部分に胎盤の端がかかっているか否か微妙な位置にあると想定し、本件患者が帝王切開手術既往の全前置胎盤患者であることを踏まえて、前壁にある前回帝王切開創への癒着胎盤の可能性を排除せずに手術に臨んでいたが、癒着の可能性は低く5%に近い数値であるとの認識を持っていたことが認められる。」

検察主張ですら、5%であり、これは前述の前置胎盤全体を分母としての癒着胎盤発生率と等しい。そして、さらに開腹後再度子宮に直接超音波プローべをあてて診断して、帝王切開し、事実 前述のように前壁には癒着組織はなかった。すなわち帝王切開創は前壁にあるのであるから、帝王切開創への癒着はなかったのである。
   
どうして、氏は検察主張よりもさらに高い数値である24%の危険率がある認識していたというイメージを読者にあたえるような記載をしてしまったのであろうか。

 ここからは推察でしかないが、資料4.5をみると、どうも氏は医療側がなにか事実を隠蔽しているという記載をしたがっているようにみえる。かつてのステレオタイプの医療報道そのものともいえる。そして助産師や先輩医師の言を明らかになった真実などという主張をしている。どうもここに無理があるように感じる。

 真に明らかになった真実とは、加藤医師が一般的な帝王切開既往前置胎盤の癒着メカニズムからこの症例が外れる事を診断して、事実そのとおりであったこと。そしてそれでも傷痕への癒着可能性を少ないながらも警戒し慎重に事を運んでいたことなのだ。よって先輩医師は納得し、助産師の言は否定可能だったのだ。胎盤剥離操作のみに裁判の焦点があたったという主張をみるが、資料2の第6をみれば、被告人の大量出血に対する予見可能性について十分に検討されている。その上での無罪なのだ。

 著者にとって 不都合な真実とは この判決文全文そのもの、そしてそこに認定された真実なのではないだろうか。

 引っ込みがつかなくなって 恣意的な引用と省略をしてなお、「1/4もの癒着可能性を知りながら、先輩医師や助産師の助言を無視して輸血準備のない所で手術を強行した馬鹿医者」というイメージを反論不能な出版という形で読者にあたえつづけるというのなら、氏は自分のためだけに産科崩壊に手を貸していると批判されてもしかたがないのではないか。 ネット上の個人への誹謗中傷を批判するという隠れ蓑を着て、かつての自らの過った認識を謝罪しようともせず垂れ流しているといわれても仕方がないのではないか? 産科の集約化云々という御遺族の言はそのとおり。ところが そこが正しいという論を隠れ蓑にして、自らのかつての過ちをカモフラージュしようとしてはならないとおもう。

 本書の執筆中に判決全文を読むことができなかったという言い訳は通用しない。脱稿したであろう11月30日にはこれを読むことができた。本書の主張とは違った部分の批判だという論はあたらない。加藤医師の名誉はどうなる? その個人の名誉を棄損したまま反論不能のまま出版することこそが ネットで医師が熱く語らなければならない原因になっているからだ。

結論 
-------本書は逆効果だ--------

 本書の大野病院事件に対する記載は、恣意的とも思える引用と省略によって読者に「加藤医師は1/4もの癒着可能性を知りながら、先輩医師や助産師の助言を無視して輸血準備のない所で手術を強行した馬鹿医者である」というイメージを与える事に成功していると思われる。それは裁判判決全文において認定された事実と異なっている。このイメージの元、氏はかつての自分の著作の正当性をもたせようとしているようにすら読める。

そもそも、資料2 の判決文全文は

1.一般的には こういわれている

2.しかし、この場合は こうであった

3.従って無罪である

と、いう論法で貫かれている。 予見可能性についてもそうであり、術中操作についてもそうである。

 ところが、本書は 「一般的には こういわれている」の部分はしっかり書いてあるのだが(先輩医師の助言や助産師の言葉もその中に含まれる)、「しかし、この場合は こうであった」 の部分は書いていないか 著しく弱いのだ。

 そうすると 読者は 「従って無罪である」 の部分が どうしてだ・・・ということになるし、そして検察の控訴断念がどうしてだ・・・ということになる。

 それに対する氏の見解が 本書の143ページ 「検察が控訴を断念したのは、医師側の反発に配慮したのと 検察の主張に添う証言をしてくれる周術期の専門家がもはやいないと判断したからと私は考えている」 と、いうことなのだ。すなわち、医師側の圧力をほのめかす記載をされていることになる。 これでは、やはり医師らはネットで真実を叫び続けるしかない。

 ジャーナリストにこんな姿勢がある限り、医師達はネット上で反論するしかなくなる。この本の狙いとしている・・と氏が主張していることとは裏腹にただただ,ネット上に燃料を与えていることになってしまう。

 産科の整備は当たり前に皆が望んでいることだ。その大義名分を隠れ蓑にしての、今なお仕事をしている加藤医師に対するこういった誤ったイメージの流布は許されるのであろうか。氏にはここは 勇気をもって自分の誤りを認めていただきたい。だれだって間違いはある。

おわりに.  -------では どう書けばよかったのか。----

「 裁判所は低いといったが、癒着胎盤5%の確率というのは無視できないと思う。すべての前置胎盤の帝王切開は血液が豊富な高次施設でやったほうがよいのではないか・・・・・・」

 24%などとほのめかすことなく、 最初から たったこれだけのことを 正確に書けばよかったのだ。

 事件当時の常識はともかくといて、医師達も耳を傾ける記載になっただろう。実は加藤医師も判決後のインタビューでその類の発言をしていたとおもう。
 それを不思議な引用と省略をするから、私も ここまでくどくどと書かなければならない。

 付け加えるなら、医師の予見可能性については 判断されていないとする判決前後の当初の世論は、判決要旨のみをみたからだと思われる。

いまや 判決全文が入手できる。

そこには 加藤医師の予見可能性について、詳細な考察と検討がなされているのだ。 大野病院事件について語るつもりで、かつ、この確定された判決全文が手に入る状況にあったのなら、その言わんとするところをよく理解して語らなければならないのではないか。

今、この著作によって 加藤医師の名誉は毀損されていると考える。それもマスコミの恣意的引用と省略報道による医師のイメージダウンという、医療崩壊の真の原因によって行われている可能性がある。

看過できないことだと思う。

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へき地・地域への 医師誘導策

1.通算で へき地・地域一年の勤務歴毎に
地方税を2% を生涯にわたって減免する

(10年いれば20%)

2.へき地・地域の勤務歴三年で 自動的にいわゆる総合医と認定する

3.ただし 勤務歴は施設長と自治体首長に認定するものとする


将来 開業を目指す方も へき地・地域にきていただけるかもしれない。
へき地・地域は日々真剣勝負で総合診療にいそしんでいる。
ただし、いるだけでさぼっている人はダメ

この方法が一番 軋轢がすくないと思う

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準備したくても準備できない血液

 ほとんどの一般の方が 輸血は買取り制に変わっており、返品が効かない事をご存じない事を知った。

 かつては輸血用の血液というものは、手術前に念のために多めにオーダーしておいて、大丈夫だったら返品するというシステムであった。また、突然の外傷に対する備えとして 各救急病院にストックもあったものだ。期限近くなったら返品できた。

 しかし、献血量が少なくなったためか、医療費が高くなるという理由からか、輸血用血液は買取り制に変わってから久しい。当然、使用期限はあるが、返品は効かない。

 一方、病院経営も 医療費削減策から苦しくなるばかり、到底 不良在庫をかかえられなくなった。念のために沢山用意しておくということができなくなった。

 かつての制度では 血液を無駄にしすぎる・・・という面もあったのだろうと思う。しかし、本当にすべてが無駄な血液だったのだろうか?
それは かけがえのない命を守るための社会がかけるべき保険だったのではないだろうか? 実際に外傷分野で亡くなっている命はあるとおもう。 自分も悲憤慷慨したことがあった。

 大野病院事件では、止血も致死性不整脈の前に完了しているし、血圧も血色素も保たれていた。したがって血液も実は間に合っていた可能性はあるとおもえるが、誤解とはいえ、一般の関心が輸血に向かっているのなら、この際 この不条理さに目をむけていただきたいものだ。

 献血が増えて 血液の買い取りがなくなって、念のためにの血液もストックできて、 政策的にも医療抑制策から増大策に転じたら、外傷分野でも、もうすこし助かる命はあると思える。

 医師 患者が 手を取り合って、こういう方向に進めば 建設的だと思うし、亡くなった方もすこしは浮かばれる。

それには もろに血液と金が必要だ。

http://www.jrc.or.jp/active/blood/pdf/19toukei.pdf

をみるかぎり、献血量は年々へっている。日赤は人員削減努力をしているが経営は厳しい。返品されてはやっていけない状況だ。

国民の理解があれば なんとかなるかもしれない。

献血は呼びかける。そして経営についてはやはり公費でもっと補助してやるべきだろう。

金の話は 政治の話だ。

もうすぐ衆議院選があるらしいが、 どの党がどんなこというか、よく聞いて
少なくともかならず投票にいくべきだ。

--------------------

返品ができない理由はPL法らしいという指摘をうけた。

つまり、品質の保障ができないから、日赤が拒否・・・

・・・うーーん、 信頼していただけないというのなら、どうにもならない。
でも それで 余裕のある血液供給が絶たれている現実はある。

それならば国家予算的に

1.廃棄費用補助

2.在庫管理、流通管理を施設基準などで保険点数的に評価して
日赤に頼らない病院同士の流通システムの構築を促す

などを提言していこうかと考える

それが実現すると、余分に血液オーダーできるようになって、医療の安全度は増すが、結果的に血液廃棄量増えるので、ここで、初めて献血の推進が意味を持つ。

これらのお金は 医師不足対策用の予算ではないから、やはり毎年2200億円削られていく医療費の中で要求しなければならない。
それでは、医療のどこかにしわ寄せがいくからだめだ。

安心医療に必要な物として これまた別枠で引っ張ってくるしかない。

衆議院選前の各党のマニフェストに推薦したい。

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無罪になったとしても・・・・

大野病院事件では無罪判決がでて、検察も控訴を断念するらしい。

当然であるが、未だに加藤医師への偏見的報道はつづいている。

これには2種類ある。

まず、第一に・・・心洗われると以前の日記に書いたが・・・
実は この判決には事実誤認がある。

http://www.asahi.com/national/update/0820/TKY200808200207.html


この判決の論法は、

「もっとよい方法があったと認められるが、だれもそんなことやってないから過失がない」

ということをいっている。

したがってバッシングの第一は、

「もっと良い方法があったけれどもそれに気がつかずに手術した凡庸な医者である」

という報道だ。 とんでもない間違いだ。

もっとよい方法というのは 

「胎盤剥離途中でやめて子宮摘出すれば出血量は抑えられたと思われる」

と いう部分をさす。

その論拠となったのは 国家試験対策用の本と 帝王切開ほとんどやった事のない教授の弁だ。

ところが、次の文脈で 癒着の剥離を完了すれば子宮が収縮し 止血は期待できる と指摘されている。 で、実際に癒着胎盤例で 剥離を途中でやめて子宮を摘出した例を提示する事が検察はできていないと指摘されている。

そりゃ一例もない筈だ。剥離を途中でやめたら子宮の収縮も不十分で今まで剥離した面から血が出っぱなしだ。子宮も大きいので摘出しにくい。むしろ剥離止めて子宮摘出するほうが失血死の危険が大きい・・・

と 全ての帝王切開に絡む医師達は証言したわけだ。

したがって、

「理論的にこうでも 実際はこうであるから 無罪」

ではなくて、

「最初の理論の方が間違えている。加藤被告は正しい方の理論にしたがったから無罪」

つまり国家試験対策本と帝王切開ほとんどやったことのない教授の方が間違えている というのが正しい。

でも、裁判の上では 無罪になってしまえばどうにもならない。

しかし、これは 剥離を途中でやめて子宮を摘出するのが正しいという学説の論議だ。
とにかく、そういう学説があった。裁判所はそれに従ったそういうことだ。

それなら、学説については学会で否定するのが筋だ。判決確定してからでよい。 だれも癒着胎盤の剥離を途中でやめて子宮を摘出する人はいない。 その実証すら危険である。
したがって、シンポジウムを開いて 正式に否定して 剥離はじめたら最後までやりとおして子宮の収縮を待つのが正しいと結論をだす。 あまりにも当たり前だから、これがやられていなかったのだ。
そして、ガイドラインを作る。

そして国家試験に出題して、堂々と 途中でやめて子宮を摘出するのは誤りとする。

この第一のバッシングについては、こうやって名誉を回復するしかない。


第二のバッシングは

「周囲から高次病院への転院を勧められたのに 大野病院で手術した自信過剰医者」

というイメージだ。裁判で すでに検証されているのにそれがあたかも偽証であるような書き方をするジャーナリストがいる。
余所でやれば助かっていた・・・という感情は あらゆるご遺族に共通するもので、無理のないものだが、事実ではない。そこに付け込むジャーナリズムを嫌悪する。

これは   手術を産科医一人で やった(応援を呼べばなんとかなった)
あるいは 出血中に心停止した
あるいは 帝王切開後前置胎盤が癒着胎盤になる率は高いのに無視した
あるいは 上記を指摘されたのに無視した

などという 全くの事実誤認に基づくものであり、そのイメージを証言の恣意的な引用と噂話と噂話が証言より真実を語るという全くの支離滅裂な論理で読者に植え付け、再発防止策を提言するという姿勢という隠れ蓑をきて今なお 真摯に患者を助けようとした加藤医師をバッシングする下記記事に代表される論調を強く批難する。

http://www.yuki-enishi.com/accident/accident-12.pdf
http://www.yuki-enishi.com/accident/accident-13.pdf
http://www.yuki-enishi.com/accident/accident-17.pdf

上記は2年前だが、8月28日の朝日新聞の「私の視点」でも 氏の主張は変わらない

判決の日の朝の日経朝刊の下記記事や、判決後のご遺族の談話も上記記事のような考えがベースになっていると思われる。

日経朝刊

・緊急手術ではなかった(対策を取れば取れたはず)
・胎盤癒着の可能性があることは文献からも予見でき、高次医療施設で管理、出産を行うべきとあるが、産科医一人しかいない施設で手術を行った
・相談された先輩医師は「大学病院から産科医を派遣してもらった方が良い」、助産師は「大きな病院に転送すべき」と申し入れたが、被告医師は断った(理由は不明、病院は回答せず)

このような論調をもって まだ真実は明らかではないという論があるわけだが、 しかし、これらの疑問は 裁判でずっと真剣に論議されてきたものなのだ。裁判証言も明らかになっていてそれらを判断された無罪判決が出ている現状で、このような論を公言するという行動は・・・もしも悪意がないのなら混同がある。

助産師や先輩医師が大量出血の可能性を考えたのは、証人の池ノ上教授の証言とおり、帝王切開後の前置胎盤で胎盤が帝王切開の傷跡へ癒着している頻度が高いからだ。これが文献でも示されている部分だ。

しかし、この例は胎盤が後壁に主にあり帝王切開の傷跡にかかっていないと術前と術中に超音波検査で診断されており、事実そのとおりであった。このような例での癒着は「by chance」すなわち偶然によるものであり予見不能であることがこれも前述の池ノ上教授の証言で明らかになっている。すなわち、この病態で加藤医師か高次施設へ転院させなかったのは、当時の産科医療の中では一般的であったことは裁判で明らかになっているのだ。

 従って、大量出血が予見できた、転院させるべきだったと、裁判がおわって証言記録も残っている今なお、主張することは、裁判の証言の恣意的な引用による悪意ある記事ととらえられても仕方がない。気の毒なご遺族もこのような記事によりミスリードされているようにみえる。

実に遺憾だ。

 しかし、帝王切開後の前置胎盤で 帝王切開後の傷跡にかかっていなくてももしかしたら ある程度 癒着頻度が高くなるかも知れない。これは今後 学会でさらに検討していくべき課題だ。

上記の記事の主張が

「加藤医師が慎重さを欠いている」

ではなくて

「当時の産婦人科の常識は慎重さを欠いていたのでは」

ということであれぱ どんなによかったかと思う。
それなら、我々も同じ土俵で話ができた。

じゃあ どうすればいいのかという話になる。
一人医長なんか誰でもなりたくない。
でも二人以上なと言う事にすると、産科医が足りないのだから
それは自動的に 地域からの撤退を意味する。
・・・それが 実は今の状況だ。

前置胎盤の予定手術症例を全例 高次病院でやるというルールにするにしても 高次病院の産科が手厚いかと言えば こちらも人手不足だったりして
パンクするかもしれない。

それも 産科が少ないからだ。

そして、無罪になっても、恣意的引用と不十分な知識と誤解で医師への個人攻撃を繰り返す記事があるとすれば、やはり 産科の志望者は増えないのではないかと危惧されるのだ。

・・・・・また、手術を産科医一人でやっていたという誤解も一人歩きしている。

手術には外科医が手伝いにはいっており、止血には十分であったことも裁判で明らかになっている。手術野にもう一人入ってきたらかえって邪魔であっただろう。狭い骨盤に手がすでに4本だ。 事実 このチームは致死的不整脈が発生する前に止血に成功しているのだ。 手術中応援を呼ばなかった云々ということはあたらない。応援がきたらかえってペースが乱れて、止血できなかったかもしれない。

さらに、大野病院手術チーム 患者の致死不整脈に遭遇する直前にたどり着いたのはどの状況であったかの証言を引用し、いかなる高次病院でもさけられない事態であっただろうことを指摘しておきたい。

繰り返すが、このチームは致死不整脈の前には止血に成功していた。ある意味 高次病院よりも優秀であり 加藤医師はどちらかといえばよくできる医師だ。

http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%C2%E8%C6%F3%B2%F3%B8%F8%C8%BD%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6%2807%2F2%2F24%29

の後半の 助手に入っていた外科医の証言

-------------

検察:臓器損傷による大量出血はありませんでしたか?

証人:ありません。

検察:臓器損傷は?

証人:ありました。

検察:いくつ、何を。

証人:膀胱だけです。

検察:どのように?

証人:膀胱を損傷したので修復したことがありました。

検察:出血は?

証人:ほとんどありませんでした。

検察:他に傷つけたことは?

証人:子宮断端にガーゼを縫いこんで縫い直したことがあったが、明らかに大量出血の原因となるようなことはありませんでした。

検察:VTとはどういう意味ですか?

証人:死亡する危険性のある不整脈。

検察:いつVTと言われましたか?

証人:子宮摘出後。膀胱を修復して、閉腹しようという時だったと思います。

----------------------

VT始まるまえに止血は完了していた。
大きな出血は子宮摘出時点でなくなっている。

麻酔科医の証言でこの時点で血圧は80以上あり 直前のHbも7以上あったことがわかっている。

つまり、このチームと患者は 本当にゴールできたに等しいところに来ていたのだ。そこに予期せぬ致死性不整脈が襲った。

いかなる高次病院でも この事態は予期せぬ事だ。
救えない。

実際、本当に失血死であったかも 剖検していないからわからない。加藤医師は失血死と語ったが、広い意味ではそうかもしれないが、本当は違うかもしれない(予見不能かつ致命的な羊水塞栓の方が病態にあいそうだ)。

もっと大きいところなら助かったかも・・・というのはご遺族の自然な感情だ。しかし、その感覚を利用して記事をうる、視聴率を稼ぐマスコミは猛省するべきだ。 

再発防止策と 加藤医師の人格批判は関係がない。

再発防止策の隠れ蓑を着て加藤医師を攻撃して記事を売ろうとする人々を軽蔑する。

参考 裁判記録 

宮崎教授

http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%C2%E8%BD%BD%B2%F3%B8%F8%C8%BD%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6%2807%2F11%2F30%29

応援に行くかもしれなかった産科医と 手術にはいっていた外科医

http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%C2%E8%C6%F3%B2%F3%B8%F8%C8%BD%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6%2807%2F2%2F24%29

岡村教授・・・・途中で応援についての質問を検察が撤回

http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%C2%E8%B6%E5%B2%F3%B8%F8%C8%BD%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6%2807%2F10%2F26%29

宮崎教授と岡村教授の裁判の評価

http://www.asahi.com/national/update/0820/TKY200808200207.html


・・・・まだまだある。

http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=FrontPage

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バイスタンダー 救急隊 GJ!!

70才男性が
道端で倒れているところを通行人発見
意識なし 呼吸ない
救急司令の指示に従い
胸骨圧迫開始

救急隊到着
心肺停止確認
VFにて AED作動
ベース医者にオンライン

都合4回 AED作動
胸骨圧迫中断しないままLT挿入
換気良好 
病院到着時3サイクル目のCPR

救急室で5サイクル目になったので
パルスチェック
心拍再開確認
自発呼吸回復

しかし、数分後VF再発 除細動
リドカイン投与

再び洞調律再開確認 血圧140台
瞳孔反射 回復
自発呼吸安定
心電図上 心筋梗塞疑い

根治的治療めざし ドクターヘリ要請

ヘリに受け渡す時、うっすら開眼

15分後大学屋上到着 救命センター搬入

心カテで一枝病変99%狭窄 発見 心筋梗塞確定 この支配領域からの致死性不整脈が発生していたものと推察。 再開通成功

脳保護のために低体温療法スタート
肺炎発症するも治癒

そして先日、歩行にて退院された。

うれしい!! うれしい!!

第一発見者は 救急車が来るまで、消防司令の指示に従って、とにかく胸をおしてくれていた

救急隊は現場で2回 搬送途中 2回 除細動をかけた 当院救急室で心拍再開確認

当院では またもや再発した心室細動に対して除細動をかけた。心拍再開確認するとともに薬剤の持続点滴にて不整脈安定化し 心電図にて心筋梗塞と診断、ヘリ要請とともに、移送にそなえて気道確保をLTから気管挿管に切り替えた。

大学では 心筋梗塞に対して根治的治療を行うとともに低体温法にて脳を保護した。

どれ一つが欠けても この人は助からなかったか 寝たきりになっていた。

思えば この瞬間のために 当地での救急体制を整えてきたようなものだ。

うれしい、うれしい!!

最初に胸をおしてくれた人がいる施設に電話をかけた。よくぞ押してくれた!!
当人はいなかったが、電話の向こうの同僚の声は 弾んでいた。

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救急隊の活動は メディカルコントロールの事後検証では
「標準的活動」
にチェックがはいるだろう。これが最高評価なのだ。
できてあたりまえ・・・ということだ

しかし、私は・・・

GJ !!

私は いつも欄外に 大きく そう記載している。

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無意味だった新臨研

最近の病院の閉鎖の状況に鑑みて、

2つの意味から新臨床研修医制度が無意味であったという考えを述べる。

一つは教育面。

地域で設備も医師も乏しいところで根本的に必要な物とは

1.超緊急時にABCを安定させて必要なら蘇生させて高次病院まで状態を持たせて送れる能力

2.ほぼ全科に渡る一次診療能力

3.その中で、高次施設対応を見逃さないトリアージ能力

だろうと、思える。
で、おそらくは新臨床研修医制度は、そういった能力を重視して考案されたものではないかと・・・考えられる。

ところが、今、3年目の後期研修医を当直に頂いているが、どういうわけか、かつての制度の3年目の方が、こういった能力に長けている。今はかえって駄目になっている ・・・という印象がある。

結局 医師としての責任をもたされないで権利のみ主張して5時に帰っていくという状況では、本当の力が身につかないって事だったのでは・・・とおもう。技術を学ぶ態度とい うのは、板前修業も医師研修もかわらないのでは・・・と・・・ 。

そこには当然、積極的に研修してきたものとの差がでてくるのであるが・・・

一般的には、背水の陣で、責任を持たされて、震えながら過ごしたかつての市井施設に派遣されての当直の夜、あるいは地域病院の方が余程身についていたのではないか。

そして、いざとなったら上級医が 身を張ってこれらの医師をサポートしてきた。古いと思われるかもしれないが、技術の伝達とは、修練の上に責任感がないとあかんかったのではないかと、このように考える。

この意味で、教育的に新臨研は机上の空論であったのではとおもえてならない。

次に、医局破壊させたのを新臨研の成果とする論についてであるが、

権威とか、学閥とか、それを崩すとか・・・実際 目がねが曇っていたのではないかとおもう。

医局制度の発生を考えてみれば解る。

そもそも皆、将来が不安で、勿論開業する甲斐性もなく、不確かな価値・・・博士号・・・に群がる医師集団があった。

その大勢の医師達を食わせていけない大学があった

一方 給与は払えるけど、医師のいない施設があった。

大学の医師達は、自分の将来がそこに固定されるのは、たとえ給与が高くても嫌だった。

・・・そこで、交代でいこうか・・ということになった。これが医局制度の発生なのだ・・・

別に権威とか云々ではなく、単純に不安解消と食わせていこうという話。

この博士号を専門医 大学をマグネットホスピタルに読みかえれば、全く同じ事がおきる。もっとも、私立であれば、どんどん医師の給与を減らせばいいから、知ったことではないかもしれないが ・・・。
(新臨研で育った先生方よ・・・甘くないですぞ。3年目以降から貴方達が勝組と負組に分けられて 病院なり大学なりから評価されていく。)

この場合、教授にあたるのが各科の部長になる。

もしも、このような派遣世界になるのなら、単に「学閥」が「病院閥」に変わるだけ。別の、医師派遣会社があったとしても、その会社閥がうまれるだけ。その場合の教授にあた るのは社長になる。

およそ、サラリーマンである以上は、医師というだけていい目できるわけでもない。

そんなわけで新臨床研修医制度は、学閥の弊害を破壊する・・・という意味すらない、医局が破壊されたままだとしても、別の閥をつくるだけと・・・このようも考える 。

・・・そうすると、単に医学部が8年になっただけの代物。

その2年間分の医師の供給不足で、病院閉鎖を招いた。無意味な地域医療の崩壊を招き、救急や産科医療の崩壊をまねいた。

そんな気がしてならない。

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5人組ではどうだろう。

5人組というのは、江戸時代の連帯責任のとらされかただ。

さて、最近、医療訴訟報道に対するコメントに書きこんでいる内に、
我々の生と死を分つものを直視しつづける日常というのは
我々のの常識というものを、どんどん一般から離していくということを再確認した。

医療は不確かな物であるのは当たり前だ。神様にしかわからない判断は常々あり、結果的に ああしておけばよかったと思える事は いくらでもある。

一方、一般の方にとっては、医療は非日常であり、医師は なんだか金持ちそうな集団でしかない。商売と同様に考える。

そのギャップが 今の医療崩壊を招いている。

医師個人を訴える。
訴えられている内容は無理な注文と医師はいう。
恵まれているのだから(実はそれも間違い)それができないのなら 辞めたら・・・と一般人は思う。
それだったら 辞めてやる・・・と医師は思う。そしてリスクの多い現場から医師はいなくなったわけだ。
救急でもなかなか受けてはくれない。それでも医師のせいだと一般の方は思う。 責められて、アホらしくて、また医師は立ち去る。

すべて、現場の常識が一般に理解できないためだと思える。 

で、医療事故調査委員会なるものも検討されているようで、一生懸命パブリックコメント書いたが、論議の報告をみていると、我々には 到底、この委員会が信用できない。現場からかけ離れた意見をいう法曹界もあり、到底、この人達が混じった委員会に報告するのはご免だ。やっぱり危険な分野の医療は辞めるしかない。

と・こ・ろ・が

医師は、医師からの指摘であれば、甘んじて受けるとおもう。同じ現場にいるからだ。

そこで、単純に連帯責任ではどうか・・・と思いついた。
医師を同一指導体制にあるいくつかにグループにわける。
別に5人でなくてもいい。 学会でもよい。
で、医療過誤と患者サイドがかんがえれば、このグループごと訴えるわけだ。
賠償金は 共同ではらう。つまり、賠償保険料は グループごとに設定される。たとえば学会の連帯責任であれば、産婦人科とか、外科とはは・・・次第に保険料はあがってくるだろう。その部分については、診療報酬で考慮していただく。 学会が認定した専門医の医療行為について、学会が責任を持つという形でもよい。保険料は専門医更新料でまかなう。ここで初めて専門医というものに実際的な価値が生まれる。そしてリスキーな手術のオペレーターも自動的に専門医になってくる。

医師にとっては、個人で訴えられないから、自動的に個人に対する刑事訴訟は消滅。リスクはへり、賠償に耐えれる。理不尽な訴えには連帯して対抗することもできる。

 しかし、それ以上に、普段の仲間同士のチェック体制がきびしくなるだろうことが大きい。そして本当によくない医師は、仲間の中できびしい処断が課せられるであろう。つまり、人の治療方針にケチをつけない・・・という習慣が、保険料上げられるかも知れないという運命共同体になることにより、口出しできる大義明文が得られるのだ。

それが、一番の医療にとっての利益だ。事故再発も防げる。

 事故再発防止・・・医療訴訟に携わる原告の方は、どうだろうか、これこそが訴訟のモチベーション、本来の目的ではないだろうか?やはり、目の前の医師が憎くて、個人相手に訴訟したいだろうか?

 医師にとってはどうだろうか。この方法にすれば、自動的に医師個人を刑事で訴える事はなくなるのだが・・・やはり厳しすぎるだろうか?

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夢物語

やっと低医療費政策批判が 新聞社に報道された

http://cc.msnscache.com/cache.aspx?q=8339385262979&lang=ja-JP&mkt=ja-JP&FORM=CVRE

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/crisis/archive/news/20070123ddm001100103000c.html

今まで偏向した報道ばかりしてきたこの新聞社にしては上出来だ。
しかし、これは医療崩壊が都市部にやっと波及したからであろう。結局のところ、各新聞社の本社は都市部にある。

しかし、有能な医師が医療を放棄していった「本当の理由」に思い至るまで、まだまだ時間がかかるのだろう。

事ある毎に 人様の日記に書きこんでしまっている。迷惑をかけているががとにかく、地道にやっていくしかない。

本当の事なのだから、いつかわかってもらえる時は来るはずだ。
でもその時まで何人の命が失われていくのだろうか。

夢物語だが、
もしも、医療費がふやしていただけるとして、リスキーな分野の医師たちが望むのは高い給与などではない。

望みは、身の保証だ。

たとえば
ある条件下での医療関連死における刑事訴追の免責の保証。

ある条件とはたとえば、同意書の存在だ。 

ここに死亡可能性が明記されている.それは操作ミスの可能性も含んでいるわけだが、その上でいちかばちかチャレンジしないと100%の死がまっている.

その中で患者様が同意してチャレンジしてきた.

その結果死に対して
交通事故と同じ刑事罰の業務上過失致死というのはおかしい。

我々は人間だから、絶対にミスをする。
それによって常に患者様を死なせる可能性がある。
決してやりたくてミスしているわけではない。

給与が3倍になっても、それで刑事に問われてはみわない。それが甘えだというのなら、皆 人間だから止める。治療は神様にお願いすればよろしい。

それが 今 おきている医療崩壊なのだ。

一方、患者サイドにも、まずは無過失保証を整備する。さらに迅速に対応する専門家による第3者機関を設けて迅速に医療過誤を判定して救済する。
もしも 医療費が増えるとして、我々の給与よりも、こういった方面に使っていただく方がよい。

医師への処分は、それが専門家による審査の結果であれば甘んじて受ける ・・・

これは、大事だ.

科学的真実がただ感情や社会情勢でねじ曲げられる事があってはならない.それは中世の宗教裁判と同じだ.

警察がまったくの無知蒙昧で科学的真実を尊重する意志もなく信じられないことは大野病院の事件を初めとする警察の対応でわかってしまった.

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070126k0000e040046000c.html


http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kenko/news/20070126ddm002100029000c.html


最近、堀病院や、奈良県の大淀病院の事例で、検察警察にも医療の実情を考慮した知性ある判断が示されているようであるが、おそらく産科に代表されるリスキーな分野の医師達は、この大野病院の事例の無罪が確定し、さらに警察検察の専門家意見を聞かないままの暴挙に対して、再発防止のための責任者に対する厳正な処分人事がおこなわれないかぎり現場にはもどらないだろう。

奈良県大淀病院での事例については、子癇失神→異常高血圧→脳出血のながれで亡くなった訳だが、素人は脳出血を子癇と誤診したと未だに信じているのではないか?.脳出血の時点で 脳外科的処置ができないあの施設で、構造的に遠いCT検査室までCT撮りにいっていたら妊婦だけではなくて、酸素投与がおろそかになりがちな検査室への移動や検査中において胎児まで死亡、あるいは障害を残ししていた可能性があるが、素人はいまだにCTとればなんとかなったと信じているのではないか・・・.不幸だが、どうにも救命できないことはある.そこで次善の策をとる. 彼は本能的に子供を救ったのだ。
このような高度判断の評価には、専門家の目が必要だ.前述のように大野病院事件に至っては、産婦人科の意見など聞かないまま起訴していると弁護側は指摘している.

そこで、利害関係をもたない第3者の専門家委員会の創設だ.これをなんらかの方法で機能させないといけない.
正直なところ、このような対策をしないとリスキーな分野に医師はもどってこない。


・・・もしも

夢物語だが、
もしも、医療費がふやしていただけるとして、リスキーな分野の医師たちが望むのは高い給与などではない。

望みは医業に専念できることだ。

たとえば、カルテがIT化されても、事務の負担が減っただけで、我々は事務の代行をしているに過ぎない。世の中は、それがあたかも美徳であるが如く、医師の雑用を増やしてきた。患者様の目をみられない。パソコンのモニターを睨んでいなければならない。

それは、医師が悪いのか?どこか間違えていないだろうか? 変革の方向は、我々が患者様に向かう時間を増やす方向であってほしい。

また、お役人が創設した煩雑な書類が多すぎる。

それが必要な物なら医業秘書を整備して我々は書類に目を通してサインする。 医業秘書を雇用すれば点数が加算されるような制度。 これにより、我々の注意力は飛躍的に目の前の患者様に向くし、患者様にも御家族に説明できる時間は増える。

もしも 医療費が増えるとして、我々の給与よりも、こういった方面に使っていただく方がよい。 医療秘書の人件費だ。

正直なところ、このような対策をしないとリスキーな分野に医師はもどってこない。

・・・もしも、医療費がふやしていただけるとして、リスキーな分野の医師たちが望むのは 高い給与などではない・・・

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医学生よ、研修医よ、地域医療をなめるな

前回の「地域医療への処方箋」に対して

某所でコメントをいただいた。

進路について自分の希望がかなえられなければ無医村にでも行こうかと考えている医学生がいるとのこと。

あるいは、もうすぐ、都会の病院で医師があふれるから、自然に地域にはじき飛ばされてくるだろうという意見も聞く。

私は申しあげたい。

「無医村をなめるな!!」

と!!!。

無医村赴任の医師にはそれこそ適性が必要だ。

 地域だから、僻地だから 医療が出来なくていいだろうという、間違えた考えは厚生労働省から持っていると思われる。

それが証拠に、くだんの開業要件騒ぎの時に、僻地で開業する場合はその限りに有らずという文言がみられた。

地域医療の経験がなく、専門ばかりやってきた人が地域で開業するのは大変に危険で迷惑で、地域の人々を馬鹿にした話だ。

また、都会から弾き飛ばされた医師で足りるだろうという考えも同様だ!!

地域だから、低いレベルの医療でよいと考える人は医師失格だ。

設備がないからこそ、明晰な頭脳と診察力と そして直感にも近いものも用いながら、都会と同じレベルの医療を提供しようと頑張らなければ、本当に奈落の底に落ちていってしまう。

その直感について、亡き父は 
「医師としての真の直感は、修練と責任感に宿る・・・」と死の前日に私に言った。

確かにそうだと感じる。

修練と責任感に裏打ちされた品格こそが、地域医療に必要であり、またそれは大病院のリーダーとしても相応しいものだ。

15年-20年後、今の研修制度の中の研修医達に対して、地域医療経験を都道府県立病院副院長以上の要件にするという先の私の案はそういった積極的意味合いもある。

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地域医療危機への処方箋

クローズアップ現代の再放送をみた.
お隣の町のS病院の苦悩も紹介されていた.

地域から医師がいなくなるという状況は、
卒業生が研修病院を自由に選べるようにする・・・という
臨床研修制度がスタートする時点で
一生懸命、医局が訴えてきたものであるが
こんなこと、夢にもおもわなかったのだろうというコメントに噴飯した.

実は医局は困らない.地域への派遣をやめて大学に人を戻すだけのことだ.
困るのは自治体ですよ.自治体が臨床研修制度に反対しないとだめですよ・・・といってきたのに、自治体はなにを勘違いしていたのだろう.

対策について、地域医療の魅力を医学生に訴える・・・などといっていたが 本当に馬鹿げている.

地域医療を志す人は確かにいる.でもニーズはその何十倍も大きいのだ.
医師として志をたてた以上、よい設備で最高の医療を提供し勉強していきたいと考えるのは極当然の事だ.

問題の本質は 地域への赴任というものが
「負け犬」
と思われていることなのだ.

医局から派遣されてる場合は、博士号のために教授の言うことを聞くとか、すぐにまた代わりが来る・・・ということで医師自身が自分を納得させていたのだ.
それが自由化されたら、医師は意地でも地域には赴任しない.

地域医療に価値がある・・・のは本当であるが、説得する労力にみあった結果はえられないだろう.

私は2年前から、自治体が以下をとりきめればあっというまに解決するといってきた.

「15年後の都道府県立病院の副院長以上は地域医療の3年以上の赴任履歴をその要件とする」

厚生労働省にもmailしたが、しばらくして彼等のだしてきたのは開業の要件とする・・・というもので、あっというまにつぶされてしまった.それはそうだろう・・・

都道府県立病院の副院長以上は 地域隅々まで見通す視点を必要とする.
岐阜県でいえば9名のポストだ.
この内規の公表だけで、地域への赴任を1つのエリートコースとして若い医師は見てくれる.そして3年たっても、すぐに次の希望者はみつかるだろう.

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同情できない青戸事件

青戸事件の判決が出た。

あいかわらず、手術経験とか、指導医の有無等に焦点があたっているようだ。

それも大切な事だ。

だが、私にはもう一つ、彼らには当初から大切なものが抜けていたと感じている。

それは、無理ならすみやかに通常手術に移行する本当の勇気だ。

それは勇気などというものではなく、当然の事である。

いつかはチャレンジしなければならない時はある。

しかし、その時、患者様の命よりも自分のプライドの価値の方が大きい者に

私はメスを持たせない。

いや、彼らは、そんなことはわかっていた筈だとも思う。

手術室の集団心理、あるいは、スターダムを求める世間の雰囲気にのまれてしまったか・・・

そうだとしても、同情は出来ない。この事件と大野病院産婦人科逮捕事件と混同されてはかなわない。大野事件は検察に この事件と混同している節が見える。

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地域救急 がんばるぞ

都会では救急病院が1次2次3次とランク付けされていて、救急隊員は傷病者の重症度に応じてそれぞれに振り分けている。 2次輪番という言葉も この状況に即して意味をもつ。

その3次施設の配置というのは、人口比で考えられているようだが、僻地においては無意味となる。例えば当院は2次施設に分類されるが、行政のいう輪番を組む2次施設というのは30kmの彼方、行政の枠組みでの3次施設は80kmの彼方だ。重症であれば、搬送途中に死んでしまう。

しかし、周囲人口1万人程度の当院に3次施設並みの設備を備えるのは、あまりにコストがかかりすぎる。
ここに、僻地特有の救急格差が発生する。

とにかく 当地では、都会なら3次施設相応の重症外傷でも当院に運び込まれてくる。そこで、当院で根本治療が無理なら、とにかく根本治療はいいから生かすだけの強力なサポートをして、少しでも状態をよくして、3次施設まで運び込むというだけの治療をしようと考えた。なにもしないで時間の無駄だといって門前払いをすると、搬送途中に死んでしまう。

とにかく呼吸させて、心臓を動かして、血の量をふやしながら送るのだ。見た目が派手な枝葉末節にとらわれていて心臓が止まってしまってはなにもならない。なんとか生きて3次施設までたどりつけたら、結果はともかく、この僻地の人でも都会と変わらない救急医療を受けさせることができるのだ。それは当直が外科医でなくてもできるはずだ。

そこで、日本救急医学会と外傷学会がまとめた外傷初期診療ガイドライン(JATEC)を参考に、当院の実情にあわせたガイドラインをこしらえた。JATECの講習会は大変に競争率が高いからだ。救急指令所からの第一報で高エネルギー事故らしいということが伝われば、その時点で当院の事務を含めた全スタッフが動き出す。

このガイドラインを決めてから、即死を除けば 当院内での外傷死が0となっていることが判明した。当院で根治治療できた例も多かったが、当院で無理な場合でも、処置の結果、当院到着時に心臓が動いていた全例で生きて3次施設にたどりつけている。

県から、臨床研修の協力施設に追加させてほしいといわれたので、研修医向けのプログラムにも高らかにそのことをうたった。

さて・・・競争率が高いJATEC講習会(コンピュータ制御された重症外傷設定のダミー人形を適切かつ迅速な診断処置によって死から救う実習。2日間にわたる)だが、いつも大都会でおこなわれるのになんと岐阜で開かれ、全国で32人の受講枠に当選してしまった。

 なんでも、最後に試験があるらしい。当院のガイドラインの制定者である私は、大変にプレッシャーを覚えた。なんとなれば、既に自分の蘇生スタイルをもってしまっている医師ほど、JATECから逸脱して成績が悪い事を聞かされていたからだ。たしかにそう思う。試験におちたら、私が教えることになっている研修医向けのプログラムをなんとしよう・・・。

そもそも、私にはJATECを習得して、ガイドラインをさらに強化して僻地救急格差を少しでも少なくする使命があるのだ・・・。

ううう・・・とってもとってもプレッシャー・・・・。

・・・・

私があたったのは 恐らくは脳損傷で意識状態が悪いけど吸引で気道のゼロゼロは解決したが、フレイルチェストで呼吸状態悪く、そこで気管内挿管して人工呼吸管理にして生命危機解決し、腹腔内を検索しているうちに今度は緊張性気胸となり再び生命危機となり、すばやく脱気してさらにトロッカーいれて生命危機解決し・・・・
と、いう三重苦の想定であったが、なんとか迫り来る死から救うことができた・・・けれども、ここまではある程度「素」でやっている。

ガイドラインだから、所々で総括しなければならない。頭部CTに向かう前に生理学的評価に対して総括した。

「えっとA(気道の異常)については・・・・
・・・・あれ?・・・・良くなったはずなのに挿管されてる!!! あたしゃなに思って挿管したんだっけ?」

真顔で試験官に聞いてしまった。

うう・・・救急医に意識障害があるとは、これはこまった。これが年配者が落ちやすい本当の理由であったか・・・orz

結果発表される前に 
全員受講証渡されて帰されてしまった・・・・結果が心配だ。

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