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ある村長の物語

合併前のこと、当町に隣接してK村というのがあった。
隣接しているが、山があるので中心部に行くにはひどく遠回りしなければならなかった。
そこには診療所があった。もちろん手術などできない。手術がしたい盛りの外科医は赴任などしたくない。外勤などいくと自分の病棟がおろそかになる。

そこにはK村長がみえた。村長は診療所に毎日医者が来るようにすることを公約にした。
それから、村長は とにかく一生懸命やった。給与は大したことはなかったが、医師が帰るときはお礼の挨拶におとづれ、花火大会など事あるごとにバーベキューに招待し・・・官官接待というのかもしれないが、お店など使わずに、自宅で自分で汗を流してウナギをとって御馳走してくれた。

皆 次第に この村長をほうっておけなくなった。そして、外科小児科も含めて毎日医師が詰める この規模としては夢のような診療体制が実現したのだ。

しかし、それが実現したころ、この村長は亡くなってしまった。大学からはさまざまな教室から教授クラスが葬儀に参列した。

それから 数年間 この診療所は続いた。皆 村長の事を忘れていなかったのだ。

合併がすすんで、K村はS市になった。

ある日、事務員がやってきて、医者にお昼の弁当出すのはおかしいから有料にするといってきた。 あたりに店がないので、前村長はお弁当をだしていたのだ。

皆、それはそうですね・・・と言った。

年度替わりの時に 一斉にすべての科が診療所撤退を通告した。
どんなに条件をあげても 皆 絶対にいかなかった。
自分も嫌だった。

これは、食い物の恨みだろうか・・・そう思うと情けなかったが、どこかなにか違う感覚があった。

今ならわかる。
自分たちが この診療所で診療していたのは、お金のためでもなんでもないのだ。もっと大切なものを受け取っていたからなのだ。
事務員が弁当代をケチった時、皆をつないでいた糸がプツリ・・・と切れてしまったのだ。

この事務員 診療所から医師がいなくなったのは、新臨床研修医制度のためだと、吹聴しているらしいが、少なくとも、この診療所から医師がいなくなった直接の理由は違う。

 今は、我々よりも相当に高額で派遣医師に週一回程度来ていただいているらしいが、本当に医師が欲しいものは金ではないのに、それを金で買おうとするから、高額になるし、高額になってもなかなか医師は来ないし、長続きしない。

自治体サイドに 「使用人ふぜいが・・・」 というところが 見えると、もう駄目だ。

(もちろん、バスにのっていけぱ、ここの住民はS市の大病院までいけるということもあって撤退したわけではあるが・・・。)

亡くなった村長は 実際、大変な低コストて医師達の心を掴んでいた。

あらためて、その村民に尽くした有能さを思う。 

合掌

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