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無意味だった新臨研

最近の病院の閉鎖の状況に鑑みて、

2つの意味から新臨床研修医制度が無意味であったという考えを述べる。

一つは教育面。

地域で設備も医師も乏しいところで根本的に必要な物とは

1.超緊急時にABCを安定させて必要なら蘇生させて高次病院まで状態を持たせて送れる能力

2.ほぼ全科に渡る一次診療能力

3.その中で、高次施設対応を見逃さないトリアージ能力

だろうと、思える。
で、おそらくは新臨床研修医制度は、そういった能力を重視して考案されたものではないかと・・・考えられる。

ところが、今、3年目の後期研修医を当直に頂いているが、どういうわけか、かつての制度の3年目の方が、こういった能力に長けている。今はかえって駄目になっている ・・・という印象がある。

結局 医師としての責任をもたされないで権利のみ主張して5時に帰っていくという状況では、本当の力が身につかないって事だったのでは・・・とおもう。技術を学ぶ態度とい うのは、板前修業も医師研修もかわらないのでは・・・と・・・ 。

そこには当然、積極的に研修してきたものとの差がでてくるのであるが・・・

一般的には、背水の陣で、責任を持たされて、震えながら過ごしたかつての市井施設に派遣されての当直の夜、あるいは地域病院の方が余程身についていたのではないか。

そして、いざとなったら上級医が 身を張ってこれらの医師をサポートしてきた。古いと思われるかもしれないが、技術の伝達とは、修練の上に責任感がないとあかんかったのではないかと、このように考える。

この意味で、教育的に新臨研は机上の空論であったのではとおもえてならない。

次に、医局破壊させたのを新臨研の成果とする論についてであるが、

権威とか、学閥とか、それを崩すとか・・・実際 目がねが曇っていたのではないかとおもう。

医局制度の発生を考えてみれば解る。

そもそも皆、将来が不安で、勿論開業する甲斐性もなく、不確かな価値・・・博士号・・・に群がる医師集団があった。

その大勢の医師達を食わせていけない大学があった

一方 給与は払えるけど、医師のいない施設があった。

大学の医師達は、自分の将来がそこに固定されるのは、たとえ給与が高くても嫌だった。

・・・そこで、交代でいこうか・・ということになった。これが医局制度の発生なのだ・・・

別に権威とか云々ではなく、単純に不安解消と食わせていこうという話。

この博士号を専門医 大学をマグネットホスピタルに読みかえれば、全く同じ事がおきる。もっとも、私立であれば、どんどん医師の給与を減らせばいいから、知ったことではないかもしれないが ・・・。
(新臨研で育った先生方よ・・・甘くないですぞ。3年目以降から貴方達が勝組と負組に分けられて 病院なり大学なりから評価されていく。)

この場合、教授にあたるのが各科の部長になる。

もしも、このような派遣世界になるのなら、単に「学閥」が「病院閥」に変わるだけ。別の、医師派遣会社があったとしても、その会社閥がうまれるだけ。その場合の教授にあた るのは社長になる。

およそ、サラリーマンである以上は、医師というだけていい目できるわけでもない。

そんなわけで新臨床研修医制度は、学閥の弊害を破壊する・・・という意味すらない、医局が破壊されたままだとしても、別の閥をつくるだけと・・・このようも考える 。

・・・そうすると、単に医学部が8年になっただけの代物。

その2年間分の医師の供給不足で、病院閉鎖を招いた。無意味な地域医療の崩壊を招き、救急や産科医療の崩壊をまねいた。

そんな気がしてならない。

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5人組ではどうだろう。

5人組というのは、江戸時代の連帯責任のとらされかただ。

さて、最近、医療訴訟報道に対するコメントに書きこんでいる内に、
我々の生と死を分つものを直視しつづける日常というのは
我々のの常識というものを、どんどん一般から離していくということを再確認した。

医療は不確かな物であるのは当たり前だ。神様にしかわからない判断は常々あり、結果的に ああしておけばよかったと思える事は いくらでもある。

一方、一般の方にとっては、医療は非日常であり、医師は なんだか金持ちそうな集団でしかない。商売と同様に考える。

そのギャップが 今の医療崩壊を招いている。

医師個人を訴える。
訴えられている内容は無理な注文と医師はいう。
恵まれているのだから(実はそれも間違い)それができないのなら 辞めたら・・・と一般人は思う。
それだったら 辞めてやる・・・と医師は思う。そしてリスクの多い現場から医師はいなくなったわけだ。
救急でもなかなか受けてはくれない。それでも医師のせいだと一般の方は思う。 責められて、アホらしくて、また医師は立ち去る。

すべて、現場の常識が一般に理解できないためだと思える。 

で、医療事故調査委員会なるものも検討されているようで、一生懸命パブリックコメント書いたが、論議の報告をみていると、我々には 到底、この委員会が信用できない。現場からかけ離れた意見をいう法曹界もあり、到底、この人達が混じった委員会に報告するのはご免だ。やっぱり危険な分野の医療は辞めるしかない。

と・こ・ろ・が

医師は、医師からの指摘であれば、甘んじて受けるとおもう。同じ現場にいるからだ。

そこで、単純に連帯責任ではどうか・・・と思いついた。
医師を同一指導体制にあるいくつかにグループにわける。
別に5人でなくてもいい。 学会でもよい。
で、医療過誤と患者サイドがかんがえれば、このグループごと訴えるわけだ。
賠償金は 共同ではらう。つまり、賠償保険料は グループごとに設定される。たとえば学会の連帯責任であれば、産婦人科とか、外科とはは・・・次第に保険料はあがってくるだろう。その部分については、診療報酬で考慮していただく。 学会が認定した専門医の医療行為について、学会が責任を持つという形でもよい。保険料は専門医更新料でまかなう。ここで初めて専門医というものに実際的な価値が生まれる。そしてリスキーな手術のオペレーターも自動的に専門医になってくる。

医師にとっては、個人で訴えられないから、自動的に個人に対する刑事訴訟は消滅。リスクはへり、賠償に耐えれる。理不尽な訴えには連帯して対抗することもできる。

 しかし、それ以上に、普段の仲間同士のチェック体制がきびしくなるだろうことが大きい。そして本当によくない医師は、仲間の中できびしい処断が課せられるであろう。つまり、人の治療方針にケチをつけない・・・という習慣が、保険料上げられるかも知れないという運命共同体になることにより、口出しできる大義明文が得られるのだ。

それが、一番の医療にとっての利益だ。事故再発も防げる。

 事故再発防止・・・医療訴訟に携わる原告の方は、どうだろうか、これこそが訴訟のモチベーション、本来の目的ではないだろうか?やはり、目の前の医師が憎くて、個人相手に訴訟したいだろうか?

 医師にとってはどうだろうか。この方法にすれば、自動的に医師個人を刑事で訴える事はなくなるのだが・・・やはり厳しすぎるだろうか?

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